・率直な感想をお聞かせください。
今回のカウンセリングは、しんどかったです。
私と同じように100伝えてくる人がいるのは面白かったです。その人は自分を肯定できていたのでいいなぁと思いました。
自動思考については、カウンセリング中にも発生しており、
「透けて見える」という話では「1枚壁があるから後ろが透ける」と話して見えましたが、その時私は「みんなそんなものじゃないの?」と思っていました。
「賢いから分かっている」という言葉も嫌でした。
「賢いから分かっているはずなのに、分からないフリをしている」と言われているように感じていました。
ぱりこさんに100点のはずの回答が的外れだと言われたときもびっくりしていました。
的外れとは言われてないのですが、私はそう感じていました。
私は絶対合っていると思い込んでいたので、すごく衝撃的でした。
でもその分「自分がいかに無自覚に自動思考をしているのか」を思い知らされました。
終わってからしばらくは、落ち込んで、それから怒っていました。
怒ってから、しばらくひどく落ち込んでまた疲れて、ちょっと落ち着いて、今こうして書いている感じです。
アドラーのトラウマ論を否定するのはいいんですけど、どうしても「自分が悪い」になってしまう時があります。
「私は自分の目的のために精神疾患を使っている」「私の精神疾患は目的のためのもので、本当は精神疾患じゃないのに」「なんて駄目なんだ」「駄目な自分を作るために精神疾患でいるんだ」などとループしていきます。
そういうときはトラウマ論否定から離れます。もうやめよ、まず自愛しよって思います。
自動思考の話を聞いて、ぱりこさんの問いかけも、冷や水だと思っていたけど、ただの麦茶だったのかな、とか。
そう思える部分もあります。
というか麦茶って面白い発想ですね。
おいしいものが入っているという発想は、私にはありませんでした。
なんというか、自分が自分と殺し合いしているような感じがします。
休戦しているときには話が入ってくるのですが、また争い始まると、思考の渦にのみ込まれていきます。
・「もっとこんな話をすれば良かった、こうしたかった」と思った点はありましたか?
というか、時間をかなりオーバーしてごめんなさい。
話をしてくれて、ありがとうございました。
「見なくてもよいものを相手に送る」事について、答え(仮)をぱりこさんから教えてもらえて良かったです。
その確認が取れなかったら、多分、ぐるぐる考え続けていたように思います。
自動思考を知ることは、熱湯や冷や水を麦茶にできることだと思うので、まず気づくところからやりたいと思います。
本当は「彼氏とカウンセリングをしましたが、彼は泥舟でしたか」と聞きたかったです。
聞いても意味のないことだな、とは思っていたのですが(でもここに書く)
「いや、彼はまともだったので、あなたが頑張ればいい舟になるんじゃないか」になっているんじゃないかと思ったりしていました。
泥舟に乗っている、という事実は、割と定期的に破滅的な行動を取らせようとしてきます。
「こんな舟に乗っているから駄目なんだ、壊してしまおう!」という感じです。
でも壊しきれないから、結局乗ってて、何やってるんだろうなと思っています。
あ、でもこれって試し行為に似ているのかな、とも思います。
キツいことをして、それでも壊れないかを試しているだけなのかも知れない。
自分の不安を、泥舟にかこつけて相手にぶつけているだけかも知れない。
どちらかだけが悪いことはない、ので。
私にも私の理由があって、壊しきれない(壊したくない)んでしょうね…。
・このカウンセリングを申し込む前と今の自分を比べて、どんな変化や成果があったと思いますか?
自分がなぜ100話したいのかを知ることで、すごい気づきがいっぱいありました。
自分が分かってもらうのを30で良いと思えるようになったら、相手の言っていることも受け止めるのは30でいいやと思えて楽になりました。
あと「相手からの指摘は受け止めないといけない」という思考に対しても、30ぐらいでいいや、と思えるようになりました。
前だったら、それ言われたら絶対喧嘩してたなって思えたことも(ふーん、そう思うんだー)くらいで受け流せたので、個人的にはすごい進歩でした。
あと彼氏がよく「客観的に見て○○だよね」って言ったんですけど、前まで(え、そうなんだ!!!)と全部受け止めて、モヤモヤため込んでいたんですが、今回は(ん?それってただの主観だよね?)と思って受け流すことができました。
相手の言うことは、単に相手の意見だって意識できたのは初めてかも知れないです。
いつも「私に対して何か言われている(責められている)」って思っているところがあった事にも気づきました。
いま書いてて思ったんですけど、「誠実さ」を大事にしてきた結果、こじらせている気がしてきました。
この大事にしてきた「誠実さ」って、もしかしてそんなに必要じゃないかもしれない…。
「自分を幸せにしたい」と思うのが寛解にとって必要だとぱりこさんがnoteに書いていて、私は幸せだけどな、と思いながら同時に「私はちょっと不幸なぐらいがちょうどいい」と思っていたことに気づきました。
その時、自分で「不幸なぐらいがちょうどいいって何だ、もっと幸せになれよ!」と自分に言えました。
前までそんな言葉出てこなかったので、自分で言って自分でボロボロ泣きました。
だから泥舟に乗っているのかな~なんて思ったりもしました。
前にぱりこさんが「自分は治したくないんだ、と認めてみてください」と言ったのを思いだして、一度「自分は精神疾患を治したくないんだ」と認めてみることにしました。
そこから、私が精神疾患でいたいのは「こんなおかしな自分は生きていてはいけない」と思っている気持ちが強くあるからでした。
「あなたよりも不幸なのだから、どうかこんな私でも生きているのを許して欲しい」そう明確に思っていた時があります。
私は生きているために、精神疾患と、不幸でいる必要がありました。
でも、それもやかんの熱湯と一緒なんじゃないかと思います。
私が、精神疾患でなくても、不幸じゃなくても、生きていて良いんだと思えれば、生きていていいんだと思えるんじゃないでしょうか。
私が私に一番熱湯をかけているんだなと思いました。
私は自分が生きていくために「精神疾患」が必要でした。
そうでないと生きていてはいけなかった。普通が欲しかった。
いや、普通ではないですね。「良い子」でない私に価値がないと思っていたのは、紛れもなく私だった。
優等生(良い子)を辞めることについては、怖い。嫌だ。やりたくない。という気持ちでいっぱいになります。
誰かに褒めてもらいたい、認めてもらいたい、出来ないと思われたくない、役立たずだと思われたくない。
どうやって辞めたら良いのか、どうやって断ったら良いのか、断ったらどうなるのか、怖くて足がすくみます。
仕事で人の期待を裏切ることも、やろうとしましたが結局怖くなってフォローしつくしてしまいましたし。笑
前に友達に対してNOと言った時も、死にはしななかったけれど、苦しかったし辛かったので、私は良い子でいた方が楽だから辞められないのでしょうねぇ…。
でもぱりこさんが言うように、自分が良い子でいることで、家族が犠牲になっているのは本末転倒と言えるんじゃないかと思ってもいます。
今回のカウンセリングでは「ちゃんとしようとしていることをリストアップする」というワークが出たので、とりあえず、それをやってみようかなと思います。
千里の道も一歩からかなといつも思います。
少しずつではありますが、確実に前に進んでいるのですごく嬉しいです。
穏やかな日が本当に増え「今の私のまま穏やかな日を手に入れることはできる」と実感しています。
自動思考については「認知の歪み」という形で知っていることに気がつきました。
認知行動療法についても行ったことはありましたが、三日坊主で終わったことを思い出しました。
カウンセリングでもあれだけ拒否反応が出ていたのですから、自分で入れようとしても難しかったのかも知れません。
でも、聞いてからは(あ、これ、自動思考だ)とか(また相手の感情の先読みをしている…)とか、気づけるようになりました。
自覚するのが大切ってこういうことなんだな、と思います。
そうすると、それがワンクッションになって、今までとは違う行動ができます。
自分を知ること、自分を癒やすこと、それから、「どうやっていくか」を考えて実行していくこと。
ステップを踏みながら、やっていきたいと思います。
あえて逆境を乗り越えるのが好き…というか。
勝手に逆境にしている節はあるかも知れないですね。
物事を大事にしやすい(過大にとらえている)ところもあると思いますし、かわいそうな私でいたいのかもしれないですね。
あえて過酷な環境を作り出すことで、自分が大変でいることで、やっぱり不足している自分の「できないところ」を「仕方が無い」にしたいのかも知れないですね。
いま、「仕方が無い」って言葉が良くないって思ったけど、これ今の彼氏に言われた言葉だった。
”自分に対して「仕方が無い」って使うのは良くない”っていわれていて、私はよく分かってないけど、その言葉だけ受け止めている(相手から言われたことは受け止めなきゃいけないと思っていた)ので、あれ~これ正しく理解しているのかな~私に必要なのかな~単なる相手の意見なのかな~
あ~でも「私は精神疾患だから仕方が無い」って言ったときに言われた気がするな~
う~ん…また考えてみます。
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